第七回荻窪講談終了、ご来場ありがとうございました!

今回も多くの皆様のお運びを頂き、大盛況のうちに終演いたしました。荻窪講談も七回を重ね、講談慣れしたお客様も多いようで、拍手、掛け声、笑い声と歓声。公会堂小ホールという大きな会場ですが、演芸場のようなアットホームな熱気に包まれ、演者にも熱が入ったようです。お楽しみ頂けましたら幸いです。また仲入りのチャリティー・オークションにも多数のご支援を頂きありがとうございました。
次回公演は2014年5月14日(水)です。次回もお楽しみ頂けるよう、演者、主催者一同尽力いたします。ぜひご来場ください。 (写真:たのはぐ会 斎藤氏撮影) ※マウスオーバーで演者と演目が出ます。


第七回荻窪講談 演目補足情報

「時代物」である講談は、時間の制約もあり長編物語の一節のみ演じられることが通常です。そのため、その物語の時代背景や大まかな全体ストーリーを知っていると、より深く講談を楽しむことができます。今回は来る11月7日(木)に行われる荻窪講談の演目補足情報を掲載いたします。こちらをお読み頂き、それが演者によってどのように語り演じられるかを楽しみに、ぜひご来場ください。 ※右上に講演のパンフレットPDFファイルあります。

『真田幸村大坂出陣』   紅桂

関ヶ原の合戦で真田家は、父親昌幸と次男幸村の2人は西軍に、長男信幸は東軍に分かれて戦いました。幸村親子は信州上田で秀忠の率いる3万8千の大軍を食い止めましたが西軍は惨敗。長男信幸は家康公に上田城の開城を条件に父と弟の助命を嘆願。命拾いをした幸村親子はおとなしく百姓暮らしをしておりましたがその14年後、幸村48歳の時です。大坂城の豊臣秀頼公から援軍要請。いよいよ待ちに待った時がやってまいります。

『雷電の初土俵』     松之丞

その昔、相撲は野外で行われておりました。両国回向院の境内に国技館ができましたのは明治42年の事。4階建てのドーム型、1万3千人収容、東洋一の規模を誇りました。
それ迄は蔵前八幡、深川八幡、芝神明様など寺社の境内で行われておりましたから興行の度に相撲場を作り、又、興行中に雨が降れば延期になるという晴天興行。本場所が終わる迄ひと月以上かかる事も珍しくありませんでした。深川八幡の境内には横綱碑と共に別格に無類力士雷電為衛門の名が刻んであります。

 『扇の的』      阿久鯉

48巻から成る源平盛衰記は鎌倉時代に書かれました。“驕る平家は久しからず”権勢を誇った平家でしたが、清盛亡き後は安徳天皇を奉じて西国へと都落ち。源頼朝の命を受けた義経軍に攻めたてられ四国の屋島で、ついに海上へと追い詰められてしまいました。扇の的はそんな絶体絶命の最中の出来事で、そのひと月後、壇ノ浦で戦いに敗れた平家は一族郎党ことごとく海中に没したのでございます。

『あの頃の夢』    

宝くじの起源は江戸時代初期、摂津の瀧安寺で正月に抽せんで当選者に福運のお守りを授けたのが始まり。その後、寺社が修復費用調達の方法として幕府公認の“富くじ”を発売。しかし天保の改革で富くじは禁止され、その後103年間発売されませんでした。昭和20年、政府は軍事費用調達の為に1枚10円1等賞金10万円の宝くじ“勝札”を発売。ところが抽せん前に終戦となって“負札”と呼ばれてしまいます。同年10月政府は“宝くじ”の名前で第1回宝籤を発売しました。

『黒田武士』     

お話しの中に“斗酒なお辞せざる酒豪”という言葉が出て参ります。斗酒とは1斗酒の酒ですから10升。多量の酒を勧められても断らないほどの酒豪、大酒飲の事。論語の中に“酒は量なし乱に及ばず”という言葉もございます。いくら飲んでも少しも乱れず正気を失わないという理想的な飲み方で、これぞ母里太兵衛!ところがこの人、実は下戸だったとか…。